ハニポッポ

オタクの月次報告会

【子育て】どうして赤ちゃんは泣くのだろうか

娘が生まれて、先日七ヶ月が過ぎました。出産のときはあたたかな春の日差しがまぶしい四月の終わりだったのに、あっという間に季節は流れてに十二月。早いものですね。

年が明けて、明けましておめでとう〜って各所にあいさつして、毎日寒いね、風邪に気をつけてね、なんて話しているうちに、きっとあっという間にフーさんは一歳の誕生日を迎えるのでしょう。

 

わたしの人生においても、娘の人生においても大きな意味をもつ「第一子のゼロ歳」は、もう折り返しを過ぎて後半戦です。

近ごろは離乳食もすすみ、声を出して感情を表に出そうとしたり、とても下手くそですがハイハイで移動も出来るようになりました。近ごろふと「人間らしくなってきたなぁ」と感じます。いや、元から人間なんですけどね!そこはニュアンスで感じ取ってください。

そんなわけで、今回は育児初心者のわたしが半年間を振り返って感じたことを書いてみようと思います。

 

どうして赤ちゃんは泣くのだろう

赤ちゃんはよく泣きます。それは「空は青い」くらい当然のこととして認知されているし、くわしい理論は置いといて「そういうもの」と認識されている事象です。

赤ちゃんは泣くのが仕事、と言いますよね。わたしが赤ちゃんだったら、いくら泣き続けても一銭も貰えない仕事なんて勘弁って感じですが、それはいったん横によけておきます。

 

赤ちゃんは泣くもの…いくら頭で認識していても、大声で叫び、声を枯らし、過呼吸になるほど泣かれてしまった日には、「わたしは母親失格なのかしら」と落ち込むことが多々あります。

赤ちゃんが泣く理由は、おなかがすいているからとか、おむつが汚れて不快だとか、眠いとか、なんかよくわからないけど不快とか、無限にあります。すべて手を尽くしたのにどうして泣き止まないの?そんな事も当たり前のようにあります。

 

で、わたしは真剣に考えました。赤ちゃんはどうして泣くんだろうか?それを考えるためには、まず赤ちゃんの気持ちになってみよう!と、暇さえあれば赤ちゃんの気持ちを考えるようになりました。世の中とは方向性のちがうバブみです。

 

わたしが赤ちゃんだったら、たぶんもっと泣いていた

とはいえわたしは赤ちゃんではないし、成人して久しい大人の女です。100%気持ちを汲み取るのは難しいから、ひとまず自分がこの状況だったらどうだろう、と置き換えて考えることにしました。

 

  1. 目はよく見えない
  2. 体はほぼ動かない、寝たきりの状態
  3. 声は聞こえるが日本語じゃないからよく理解できない
  4. お世話係が1人(2人)いるっぽいけど、誰だかよく分からない
  5. 言葉は喋れないが泣くことだけはできる
  6. 1日に数回、原因不明の体調不良が訪れる

 

ある日突然、気が付いたらこんな環境に放り込まれたら…

 

え、怖い。

 

こんな状況で、信頼できるかどうかもいまいち分からない相手に命を預けるの、めっちゃ怖くないですか??

例えば1日に何回も原因不明の頭痛や吐き気が訪れて、自分で病院に行ったり薬を飲んだりすることもできず、ただ解決するのを泣いて待つの、辛くないですか???(赤ちゃんにとってお腹が減ったり眠いといったことは体調不良と同義です)

わたしだったら恐怖と不安で押し潰されて、速攻でメンタルを病む自信があります。成人したいい大人が耐え難いことを、赤ちゃんは耐え続けているのかもしれない。そう思ったら、すごくないですか????

だから、赤ちゃんがおなかが減って泣くのも「ヤバい!この原因不明の体調不良が一生続いたらどうしよう!」と、恐怖と不安を抱えて泣くわけです。成長すれば解決方法(ご飯を食べる、飲み物を飲むなど)も分かるけど、分からないうちはそりゃ怖いですよね。

ママ以外の人に抱っこされたり、ママが目の前からいなくなったりして泣くのも「え、誰この人怖い!気安く触れないでよ!殺される!!!!」ってパニックになってるのかもしれません。わたしだって道端でいきなり知らないおっさんに抱きつかれたりしたら、悲鳴を上げますよ確実に。

何かの本で読みましたが、赤ちゃんは眠くても寝る方法を知らないそうです。目を閉じてれば眠れる、なんてある程度の年齢の人間なら誰もが知っていることすらも分からず、不快感を解決するすべも分からずに泣くそうです。つらい。ハードモードすぎる。

 

それでも一ヶ月、三ヶ月、半年と毎日を過ごしていく中で「このお世話係、使えないことも多いけどまぁ信頼できる奴かも」とか「よく知らない言語だけど、なんとなく相手の言うことわかる気がしてきたかも」って、親子の絆と子供自身の発達によって赤ちゃんの世界が広がっていくんですよね。愛しい。娘めっちゃ愛しい。

 

毎日がんばって生きてくれて、ありがとう

拙い想像力で娘の気持ちを想像してみましたが、きっと本当はわたしが考えるよりももっとつらく、大変な思いをしているでしょう。目新しいものだらけの世界に目をキラキラと輝かせる純粋さの裏側には、常に不安と恐怖が隣り合わせているのです。

そして、最近ついに後追いが始まりました。わたしが視界から消えると泣いて追いかけようとしてくる行為です。七ヶ月間の毎日の積み重ねが少しずつ信頼関係を築き、彼女の中で「この人は信頼できる人かも」と認知してもらえたのでしょう。成長の証ですね。

 

小さな体でわけもわからずに、それでも一生懸命生きようとしている娘。先ほど「赤ちゃんは泣くのが仕事」ということを書きました。確かにそうかもしれません。泣くことももちろん必要です。話すことができない赤ちゃんが唯一できる意思表示だからです。

それでも、わたしは娘にはなるべく笑っていてほしいし、わたしの手で育てている間はなるべく辛いことや悲しいことは最小限にとどめられたらいいな、と思っています。

 

とはいえ、今もめちゃくちゃ泣きます。さっきも娘は死ぬほど泣いてました。なんなら今この記事を書いてるこのタイミングでも泣き始めました。(あやしました)

けど、もし自分が赤ちゃんの立場だったら、今こうして欲しいかも、とか、自分だったら今こういうことが不安で、こういうことが嫌なのかも、と考えるようにしたら、以前より少しだけ気持ちが楽になりました。

全然泣き止まない日は「わかるわかる!今日は気圧が低いからママも不調だわ!」とか言って、同調してみたりします。大人だって理由なくやる気が出ない日があるんだから、赤ちゃんにもそういう時があったって不思議じゃ無いですよね。だから、そういう気持ちを汲み取りながら接するようにして、一秒でも泣いている時間が少なくなればいいな、なんて思うようになりました。

 

とりとめのない内容を長々と読んでいただき、ありがとうございます。あくまで一個人の考え方に過ぎませんが、同じように子育てを頑張るママさんたちの目に留まって、何かを感じていただけたら幸いです。

 

それではみなさん、よいお年を!(おそらく日本で800番目くらいには早いであろう年末の挨拶)